『 音楽とディクション(歌唱発音)のページ 』

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このページではヘンデルについて、
オラトリオや宗教曲などの声楽作品について、
またディクション(歌唱発音)について触れていきます。

【 ヘンデル 】
 

 ヘンデルは1685年ドイツに生まれ、1759年にロンドンで没しました。ドイツ名はGeorg Friedrich H&aumlndel(ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル)ですが、イギリス名はGeorge Frideric(Friderickとも) Handel(ジョージ・フリデリック・ハンデル)となりました。今でもドイツでは「ヘンデル」、イギリスでは「ハンデル」と呼ばれています。

 ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルは、1685年2月23日ドイツ中部の都市ハレに生まれました。バッハは同じ年の3月21日生まれですから、この2人の巨匠の誕生は1ヶ月も離れていないことになります。バッハが一生の間ついに一度もドイツを離れなかったのに対し、ヘンデルは国際的な活躍をしたメトロポリタンな音楽家でした。
 若い頃からドイツ、イタリア各地を旅行して音楽家として次第に名をなし、27歳のときにはハノーバー宮廷楽長の職を放棄してロンドンに住みついてしまいます。やがて帰化して英国籍となり終生イギリスで活動しました。頻繁に外国に出かけ、独・英・伊・仏・ラテン語を自在に操り、気まぐれな市民の聴衆を相手にオペラやオラトリオの興行に明けくれた商売人でもありました。
 ロンドンに移住したヘンデルは、この地で盛んだったイタリア語のオペラで名を挙げ、以後もオペラで稼ごうと奮闘します。有名なアリア「泣くがままにさせて下さい Lascia ch'io pianga」を含む『リナルド Rinaldo』、「オンブラ・マイ・フ Ombra mai fu(美しい木陰)」の『セルセ Serse (クセルクセス Xerxes)』、「わが運命に泣くPiangero la sorte mia」の『エジプトのジュリオ・チェザーレ Giulio Cesare (ジュリアス・シーザー)』など約50曲のオペラを残しました。
 年月とともにロンドンの聴衆がイタリア語のオペラから離れていくと、ヘンデルの活動の中心も、演技なし歌詞は英語の音楽劇・オラトリオへ移ります。オラトリオは約30曲残していますが、オペラが55歳で最後なのに対しオラトリオの方は『メサイア Messiah』『サムソン Samson』『ユダス・マカベウス Judas Maccabaeus』『エジプトのイスラエル人 Israel in Egypt』等ほとんどが50代半ば以降に書かれています。この年齢で随分思い切った方向転換をしたものですが、オラトリオは趣味と教養を求めるロンドンの新興市民層に受け入れられ、ヘンデルの後半生は充実したものとなりました。
 後に白内障を患って視力が衰え、67歳で手術に失敗して完全に失明しましたが(その執刀をしたのはバッハの手術に失敗したのと同じ医師)、その後もオルガンの即興演奏などは行なったり、口述筆記で作曲するなど音楽活動は続けていました。1759年74歳で死去。ロンドンのウェストミンスター寺院に葬られました。

私、三ヶ尻はヘンデルの英語作品、特にオラトリオの研究と演奏に携わっています。
「メサイア」
-1981年 CMA合唱団 にて (出演・対訳)
-1996年 オラトリオ東京 にて (企画・出演・発音指導)
-1997, 1998, 2000, 2002 川越キリスト教会にて (出演・解説・対訳)
-2003/5月 神奈川フィル・川崎市合唱連盟「アニモ」にて(出演・解説・対訳)
-その他発音指導多数。

「ユダス・マカベウス」
-1997年 台東区民合唱団 にて (ドイツ語版: 出演・解説・対訳)
-1999年 オラトリオ東京 にて (英語版: 企画・出演・解説・対訳)
-2003年12月 日本ヘンデル協会にて
 ヘンデルのオラトリオの形式に関する講演と「ユダス・マカベウス」レコード鑑賞会
-2005年5月 NHK-FM「海外クラシックコンサート」にて
 ゲッティンゲン国際ヘンデル音楽祭2004のライブ録音を放送(司会と解説

「ディキシット・ドミヌス」(ラテン語の教会音楽)
-1983/6月・12月 CMA合唱団 にて2回公演 (出演・解説)

「復活」(イタリア語のオラトリオ)
-2004/4月 日本ヘンデル協会にて上演 (プログラムと字幕)

このほか、いくつかのオラトリオの上演を計画中です。

オペラについては最近以下のような活動をしています。
「アグリッピーナ」
-2004/10月 日本ヘンデル協会にて抜粋上演 (字幕)
「アグリッピーナ」「ジュリアス・シーザー」について
-2005/7月 日本ヘンデル協会にて古代ローマ史と18世紀の現実を踏まえた解題を講演
「アグリッピーナ」
-2005/10月 日本ヘンデル協会にて全曲上演 (字幕とプログラムに記事)
「アタランタ」
-2006年7月 NHK-FM「海外クラシックコンサート」にて
 ゲッティンゲン国際ヘンデル音楽祭2005のライブ録音を放送(司会と解説)

 なおヘンデルの生涯について詳しくは拙著「演奏者・鑑賞者のための『メサイア』ハンドブック」や、伝記(クリストファー・ホグウッド著/三澤寿喜 訳、渡部惠一郎著など)をお読み下さい。

リンク:
日本ヘンデル協会のホームページ
オラトリオ東京のホームページ
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【 オラトリオ 】  

 「オラトリオ」とは ・・・ 独唱、合唱、オーケストラによる劇音楽には「オペラ」と「オラトリオ」があります。オペラのような演技や舞台装置を伴わないもの、つまりベートーヴェンの「第九」のような演奏会形式を前提としたものが「オラトリオ」です。(一般的な大まかな定義です。)
 オラトリオ Oratorio の原義は「祈祷室・小礼拝堂」の意味です。17世紀初頭にローマで在俗聖職者(修道会に属さないがカトリック教会に公認されている聖職者)が組織した「オラトリオ会」ができ、この会で歌による対話的なやりとりが行なわれていたそうです。四旬節*のあいだ世俗的な芝居であるオペラの上演を禁じられ、その間宗教的な音楽劇が行なわれた、とも言われています。

* 受難節の前の40日間。聖書によればイエスがエルサレム入城に先立って荒野に赴き、40日間悪魔の誘惑に耐えたという。

 実際には宗教劇でないオラトリオも多数ありますし、オーケストラを伴わないもの、独唱なしのもの、合唱なしのものもあり、またバロック期では演技や舞台装置を伴なったものもあったらしい、など「オラトリオ」の定義はあいまいです。
 受難曲はオラトリオの一種とも言えそうで、「オラトリオ風受難曲」や「受難オラトリオ」といった境界領域の作品も多いのですが、聖句=聖書の記述そのものを主にしたものはオラトリオとは言わないのが普通です。ブラームスの『ドイツ・レクイエム』やオルフの『カルミナ・ブラーナ』もオーケストラと独唱、合唱の作品ですが、オラトリオとは言いません。バッハの『ロ短調ミサ曲』やベートーヴェンの『荘厳ミサ曲』、モーツァルトなどの『レクイエム』は典礼文による「ミサ曲」「典礼音楽」であってオラトリオではありません。


 歴史 ・・・ カヴァリエーリ(伊1550頃-1602, Emilio de(del) Cavalieri)作曲の『魂と肉体の劇 La Rappresentazione di Anima e di Corpo』(1600年)は、最近ではオペラとして演出されることが多い作品ですが、オラトリオの原型とも言われています。
 初期バロックのオラトリオの流れを本格的に作ったのは、ジャコモ・カリッシミ(伊1605-1674, Giacomo Carissimi)で、旧約聖書の題材から作った『イェフタ Jephte 』が有名です。ドイツのオラトリオはシュッツ(独1585-1672, Heinrich Schutz)が祖と言われています。
 今日的な意味のオラトリオを確立したのは、盛期バロックのヘンデルです。『メサイア』や『エジプトのイスラエル人』のように演劇性のあまりない聖句オラトリオ、聖書や聖人伝にもとづくが登場人物がはっきりしていて演劇性の高い『サムソン』や『デボラ』『テオドーラ』、その中間で叙事詩的な『ユダス・マカベウス』、キリスト教ではないギリシャ神話を土台にした『ヘルクレス』『セメレ』、寓意劇のような『時と真理の勝利』『快活の人、沈思の人、温和の人』、詩を素材にした『アレクサンダーの饗宴』など題材から見て実に多様な作品の数々を生み出しています。
 ハイドンは晩年ロンドンを訪れてヘンデルの作品を聞いて刺激を受け、『天地創造』と『四季』を書きました。
 ロマン派のオラトリオはメンデルスゾーン(独1809-1847, J. L. Felix Mendelssohn Bartholdy)の『聖パウロ』(1836)『エリヤ』(1846)、シューマン(独1810-1856, Robert Alexander Schumann)の『楽園とペーリ』(1843)が本格的な開始点と言えますが、その背景には市民階級の社会的な躍進があり、その市民たちの合唱団が演奏者となって作曲家のための器になると同時に、都市の市民がオラトリオ上演の聴衆にもなりました。
 ロマン派以後、実に無数のオラトリオが書かれています。近現代でもメシアンやオネゲル、ストラヴィンスキー、フランツ・シュミットなど大家の作品があれば、ポール・マッカートニーの「リバプール・オラトリオ」のような作品もあります。大きな輸入CD店に行くと有名無名のオラトリオが100曲くらいは棚に並んでいます。作曲家にとってみれば、舞台装置や演出に左右されずに音楽だけで勝負できること、器楽と声楽だけでドラマが作れることが魅力で意欲をかき立てられるのでしょう。

 三ヶ尻は古今のオラトリオ作品の紹介に努めるとともに、「オラトリオ東京」(合唱団)やその他の合唱団で実際の演奏に携わっています。
 2007年5月から日本ヘンデル協会でシリーズ講演「オラトリオの歴史〜ヘンデルにいたる道」(全4回)をスタートさせています。

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【 ディクション 】

 ディクション "Diction"とは一般語としては「ことば使い」の意味で、これを集成したものがすなわち "Dictionary"です。ただし音楽では「歌唱発音」のこと、歌詞をどのように発音して伝えるか、という技法のことを指します。
 演劇や声楽では、舞台の上から広い会場の聴衆にはっきり聞こえるような発音をしなくては表現が伝わりません。また特に声楽では高い音域・低い音域でも聞こえるような発音が要求されます。各国語で「舞台発音」「歌唱発音」「ディクション」といった概念が生まれています。ドイツ語や英語では体系化が進み、劇団での訓練に使われたり、音楽学校の授業に組み込まれていることも少なくありません。目指す音、結果として聞こえる音は、アナウンサーのような「放送用発音」と近いのですが、音楽・演劇など分野ごとにそれなりの特殊な技法や独自の伝統がある場合もあります。
 歌のディクションを身につけるには、言語の勉強が役に立つことは言うまでもありませんが、音としての理解と修得のためには「音声学」(*)の知識があると助かります。

 * 世界各国語で使われる母音、子音、音調など言語の音に関する学問。

 三ヶ尻は 英語、ドイツ語、ラテン語 の「ディクション」指導を声楽家・合唱団に行なっているほか、「音楽家の英語入門」「メサイア・ハンドブック」「ミサ曲・ラテン語・教会音楽ハンドブック」「歌うドイツ語ハンドブック」などの著作を通じて声楽曲演奏における「ディクション」の意識の普及・浸透に努めています。
 近年、「ディクション」や声楽曲の歌詞に関する専門的な知識を持つ方々と知り合うことができるようになりました。

森田 学 さん: イタリア語ディクションの専門家。声楽家で、日本では数少ないバス(バリトンではなく)の新鋭です。イタリアでは声楽だけでなく音楽学(楽理)の研鑽も積まれました。2006年春に「歌うイタリア語ハンドブック」を出版されています。
川津 泰人 さん: イタリア語の専門家。複数の合唱団で歌われているほか、声楽曲逐語訳のページも展開なさっています。(下のリンクを参照下さい。)
●青木 みあ さん: 英語ディクションの研究者としてキャリアをスタートされた新進気鋭の方で、2005春より東京外国語大学大学院に入学し研鑽中。ルネサンス曲を歌う合唱団の指揮者も経験されています。英語歌唱発音の指導者は数少なく、私より2回りもお若い新世代の研究者・指導者が生まれたことを心から喜んでおります。

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川津泰人氏制作・声楽曲逐語訳のページ

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